unknown

フィクションであれ

20221012

誠実さだけを考えていたいと、人のいない地下鉄のホームでぬるい風を受けながら考えた。心理学部の好きな准教授の言う「あと10年生まれるのがはやかったらな、結婚してたな」の現実性のない10年という数字が心地よかった。以前に寝た、恋ではない男のことを、その日のことを考える私がいた。友人に借りた江國香織の「ウエハースの椅子」を読みながら、ぼーっとしながらコーヒーを飲んで煙草を吸って、自分がどんどん現実のこの世界に生きてない人間のような気がしてきて怖かった。あまりにポエジーな世界の見え方が全く現実味を帯びていなくて怖い。こんなセリフを吐くのも、小説の中の人間だけだと思っていた。恋人以外と寝る夜は恋やときめきをともなわないに限ると考えていた。その方が楽だし、一時的な仮初のピロートークも嫌いじゃないけど、そうじゃなく、そうしてときめく人間とセックスをしたいと思えてきてしまった。いいことかどうかは知らない。恋だと思えば恋なのだというのならこれは恋だ。会いたい人がいる。そうしようと思ってしたわけじゃないけど、お酒も飲んでいたから、一度だけ少し熱を持った視線を送ってしまった時のあの顔を覚えてる。別に今は恋でも愛でもないけど、もしあの人からそういうものが私に向くのであれば、私がそれを受け取れるかどうか試してみたいと思う。まだ忘れられない彼がいるというのは、新しい状況への足枷だ。忘れられないことと好きであることは別であれる。忘れないまま私はこれから別の誰かを愛することになるというのに。

https://open.spotify.com/track/5QBSc4yNurtL9SZx22lENb?si=-5vlf9MWS7ae83E3OytqbQ

屋根のない喫煙所のポールの一部が濡れていなかった

聖書研究の講義で文章の初めをそのまま題名として使うことがよくあった、という部分だけ聞こえたのでそうしてみる。

屋根のない喫煙所の座れるポールの一部分が濡れていなかった。昨日は雨だった。誰かが構わず座ったか、座るために拭いたんだろうけど、その時の寒い私、自分が書いた宗教に対する批判的意見についてのミニレポート的なものを精査したい私、煙草を吸いたい私にはすごくありがたかった。

以前、と言っても4ヶ月前、友達と飲んでるところにその店の閉店時間間際に声をかけてくれたお兄さんから久しぶりに京都に用事ができて行くんですけどよかったら夜飲みませんか?とメッセージが来た。ちょうど飲み相手を探していたから二つ返事でOKした。1杯目のハイボール、お兄さんに「やっぱハイボールおいしいですね」と言った。でも、私は普段ハイボールは飲まない。味がないからそんなに好きじゃない。どうしてそんなどうでもいい嘘をついたのかわからない。多分、今の話題性のないこの場に小さくても共通項を作りたかったんだと思う。健気だな。

2軒目はバーだった。そしたら案内してくれたバーテンダーは顔見知りだった。「あなたここなのか!今のタイミングでいちばん会いたくないコミュニティの人だ、この人私のセフレの知り合いだ、ていうかここ系列店なんだ、系列店近いな、そりゃそうか」と脳内が目まぐるしかった。どうにかよきにはからってくれと祈っていたら何も言わずにいてくれて、私もこういうことができる人になろうと誓った。一緒に来ている彼が席をたつタイミングで「あの、一度お会いしましたよね」と言ったら「はい、なんかどうしたらいいのかわからなかったんでとりあえず知らないふりしときました笑」と言ってくれた。本当にありがとう。

ウィスキーの飲み比べもさせてもらった。アードベック、グレンフィデック、知多、ワイルドターキーの4種類。私は心からアードベックが好きだ。

帰りも目配せされた。どうだ、望み通りの結果か。

東からあがる太陽はやっぱりどの時間の太陽とも違う。朝の太陽は温度が低そう。朝日は誰にでも嫌と言うほど平等だと思う。

電車の中でお腹が鳴ってる。すごく悲しそうな音。恥ずかしい。みんな始業前なんだから寝てなよ。

渡り歩く夜ほど無価値で、でも即時的かつ一時的に有用なことはないなと思う。私は通勤通学ラッシュの電車に崩れたヘアセットで乗り込み、下を向くばかりの人の流れの中を逆行して寒いなあとつぶやきながら家まで自転車を漕ぐ時間が嫌いじゃないけど、朝思い返すあの夜はあってもなくてもよかったとしか思ったことがない。私は寂しいのだろうか。彼は33歳、おそらくもっといろんな33歳の人がいるのだろうが、もし、あれが33歳の人間なのであれば、33なんて年齢は大したものじゃない。

先週は寝坊したけど、今日は一限に行けそう。そろそろ最寄りに着く。

おわり

202221002#2

昨日ロゼに「この曲のたたみかけが堪らないんだよ」と言われた曲を、最大音量にして風呂に入りながら聴いた。泣いた。Billie EilishのシングルGuitar Songsの中のThe 30th
四条で3時までやってるバーで3時まで飲んだ。そこのオーナーさんっぽい人、ショウタさんだったはず、ショウタさんは赤い服を着てなくて顔の違うマヒトゥ・ザ・ピーポー。職業柄なのか、もともとそういう人なのか、笑わなきゃ顔にあまり感情がでない人で、声色も変わらないのでこの人がどんな人か気になった。でも、私のような人はこの世に何人もいるわけではないので、これだけはという気持ちでアーティストを勧めてくれとお願いしたら、Oasis銀杏BOYZとCigarettes after Sexが返ってきた。この3つを答える人にはいろんなタイプの人がいるだろうが、まだひとつに絞れるほどの情報量がないのが悔しかった。そして全部知ってるし聴いてる人だった。
とにかく、久しぶりにcigarettes after sexを聴いたのだということが言いたかった。すごくメロウな曲を歌うバンド。中学生の時の私が聴けは退屈な音だと思ったかもしれない。
昨日の朝帰りは虚しくなかった。鴨川の河原で食べたすき家の牛丼もおいしかった。人に川が流れるのを見てるのがいいと言われて、私も水面に光が反射しているのを見るのが好きだから日中に川を見るのが好きだと返したけど、夜の人工の光が川に反射しているのも、それはそれでよかった、なにより、ぬらぬら動いているものは酔って眠い人間の頭には心地いいらしい。
昨日話しかけてきた人、日本人では確実にないんだけど、拙く、ローマ字で日本語を送ってくる「isu au?」。私はあんたに私が私であることの価値を享受させてはやらないよ。
バーで名乗ってくれたお兄さんの名前はもう一文字も思い出せない。もうどうにも特徴のない人なんだけど、顔と話し方は覚えてる。酔えてないのか緊張してるのかすごく焦った話し方をする割に目はすごく見る人で、最後ずっと居心地が悪そうだったあのお兄さん。

20221002

私はバイト先が嫌い。仕事はそんなに大変じゃないし、時間帯によっちゃぎりぎり回るくらいに忙しくもなるけど別にそれも苦じゃない。家からは遠いけど、大学に通うようなもんだし、京都に出てればいつも行くHUBもあるし、スタバもあるし、喫茶店もあるし、探せばほしいものが見つかるところではあるから別にいい。でも、お局さんは誰かがミスするとキッチンの裏で目をかけてるパートのお姉さんに「あの子がさあ、こんなことしてさあ、勘弁してよほんと〜」とか「お金合わないの??その時間帯なら絶対あの子でしょ」とか通ってるかわからないオーダーをもう一度ちゃんと通しにいこうとしたら「わかってるから」と言われたり、店長ともうひとりの社員さんもその人と一緒に悪口言ってるし、パートのお姉さんも別に否定するわけでも加担するわけでもなく自分の立場を守ってる。本当にそういう空間が嫌だ。

 

すごく苦しくなって、お酒飲もうと思って、はじめは1人で飲もうと思ってたけど友達を誘ってみたらきてくれることになった。店に入るとちょうど京都ハンナリーズ仙台89ERSがめっちゃいい試合してた。0.8秒残してスリー決めた時は店の中で私だけ盛り上がっててちょっと恥ずかしかった。試合は66-65で京都が勝って、ちょうどビールも飲み終わったのでお酒を買いなおしてテラス席に移って、煙草吸って、Robber soulを聴きながら村上春樹の「ノルウェイの森」の続きを読んだ。私は直子の書く手紙をそのまま引用して送りたい相手がいる。そうしてると私の隣のテラス席に座った男性がにこにここっちを見てて、目が合っちゃって、あ、やばいなと思った頃には時すでに遅しで、話しかけてきた。海外の方だったから、めちゃくちゃ英語対応しようとして英語で返してたら普通に日本語で話してくれた。Tinderでフランス人が「君は何を探してる?」と質問してきたことが頭にこびりついていて、この人は私に何を求めてるんだろうと考えた。私でしかあなたに与えられないものはあなたにはあげられないと思った。これは寂しいことだろうか、寂しいことなのだろうな。

 

待ってた人が来た。四条に移動して3時までやってるバーで3時までお酒を飲んだ。私はお前が心配だよ、と言われた。言いたいことはめちゃくちゃわかる。私も私みたいな人が友達にいたらひとりで飲みに行かせられない。でも、あなたがいたから私は現実にというか、戻らなきゃいけないところにずっと手を繋いでもらってる感覚があったから、多分昨日ははじめて虚しくならない朝帰りができたんだと思う。そう思うんだよ。

 

私はずっとめちゃくちゃ寂しいんだと思う。というのも、私が感じてる孤独は人肌恋しいとかいうかわいいものじゃない。誰も私が私の目を通して見ている世界を見ることができない寂しさ、私が感じたままを誰も感じられない寂しさ、誰も私になれない寂しさが孤独だ。だからこそ、私は人の仮面のその奥に踏み込もうとするコミュニケーションをするし、そういうコミュニケーションを求めてる。だからこそ、私はセックスが好き、あのお互い今だけは仮面のない、取り繕いのない感じがすき、今この人にも私にも、目の前の相手と性欲という共有されたものしかないのが好き、今だけは全部一緒だから。

 

もう私、想像以上にどうしようもない。こういうやつが何かの拍子に堕ちる。この日記で本当に言いたいことを書く前の前置きが長すぎるところに私の葛藤が現れてる気がする。こんなこと思ってるくせに、あなたにとっての私の存在がそこまで大きくないことを祈ってるし、こういう私じゃ私が幸せにしたい人を幸せにできないことも結構自覚してるんだよ。

20221001

10月に入ったことに全然実感がなかったけど、登録してるアプリから(お誕生日おめでとうございます!誕生月のお客様への特典のご案内です)とかいう内容のメールや通知が何通か届いてやっと、ああ月が変わったんだなと思えた。帰りの電車でも、足元にたくさんのプレゼントが入った大きな袋を置いて座っている人がいて、その人は私の最寄りの数駅前で降りて歩いていった。ずっとスマホで何かを打ってたから、もしかしたらこの人は今日退社したのか、もしかしたら入社したのかもしれない。送迎会か歓迎会をひらいてもらって、そのお礼の連絡をしてたのかな、もしかしたら仲のいい人に不安とかめんどくささとか楽しみとかを報告してたかもしれないと思った。

 

今日高校の時の友達とお酒を飲んだ。この人がこんなにお酒を飲むのを初めてみた。私も同じように飲んだけど酔わなくて、代わりにすごく気持ちが荒んでしまって、ぼーっとしながら遠回りして祇園四条の駅から市営地下鉄の四条駅まで歩いた。その道中にはいろんな人がいて、若い女の人2人が座って話してたり、お酒飲んで楽しそうな男の人3人組が肩を組んで大きな声で笑ってたり、ホームレスのおじいさんが身丈にぴったりはまる段差で寝てたり、スマホを見ながらゆっくりヒールで歩くお姉さんとか、夜遅かったのにたくさん人がいた。久しぶりにどうにもならないなあと、不全感に厚く包まれた感覚だったからありがたかった。前にもあった、数ヶ月前のこと。

 

まだ好きだけどどうにもならない人。でも、やる気あり美の太田さんの言葉をお借りすると、私の心の中にある扉が今まではずっと開いていて、そこからびょーびょーと強い風がずっと吹いていて太刀打ちできなかったけど、少しずつその扉を自分で閉められるようになってきていて、油断するとまたばんと開くけど、それを自分で閉められるまでに前ほど時間がかからなくなってきてる。

 

めちゃくちゃ辛くてどうとでもなれと思っていた時期にやけくそで入れたTinderである人と虚しくなるセックスはしちゃだめだという話をした。

 

私は、好きな人がいるのに他の誰かとセックスをしてしまう自分とか、辛いのにそれでもセックスをしたいと思ってしまう自分とか、それを人に言えてしまう自分とか、話した後から私のことをどう思われているだろうかと不安になってしまう自分も、そういうことに悶々と囚われてる自分もあまり好きになれない。それでも、私は私を知ってほしいと思ってしまって、1人で抱えていられないからどうしようもない。

 

でも、私のこの悩みを悩みたらしめているのは私の中にあるセックスとかそういう部分が堅実さや誠実さの輪の外のものであるという認知であることはすごくよくわかってる。私が求めているのはあまり考えたくないのにどうしても起こってしまう感情を考えなくて済む時間なのだろうということもわかってる。

 

もう全部吐いてしまいたくて吐いた。もし読んでくださった方がいたら、ありがとうございます。あなたの抱えるどうしようもなさも苦しいときは話してね。

 

おわり

20220929

たまにセックスする人が働いているバーに行くと初めの1時間くらいは私一人だったのがちらほらお客さんが来るようになった。手持ち無沙汰だったので3回目のノルウェイの森の上巻を読んでたら笑われた。というのも、「なあに小説読んでんのよ」って感じで。あんたが知らない私がまだまだあるんだよ、と思いながら私本読むの好きなんだよねえ、と言っといた。なんで本読むの?って聞かれたから、現実逃避だよと答えておいた。他に趣味は?と聞かれたから、私は趣味のない人が趣味を聞かれて取ってつけたように答える3つが趣味なんだよね、と言って、読書と音楽鑑賞と映画鑑賞を答えた。本当にそうなんだよ。音楽何聴くの?と聞かれたから、ええいと内心呟きながら、ちょっと悩んで、カネコアヤノを教えた。私が今も好きな別れた恋人に教えたのと同じ人。あなたはカネコアヤノの名前を聞くたび、カネコアヤノの音楽を聴くたびに私のことを思いだすはずだと、よくいう花の名前を教えるような思いを託して私が恋人だった彼に教えたカネコアヤノをお兄さんにも教えた。別に私はお兄さんのことが好きなわけではないけど、なんだか、特別な関係になった人に私を植え付けるような行為をよくしてしまう。あの人も、わからないけど、いつかどこかでカネコアヤノと再会したら、あああの子が言ってた人だくらいには、いや、誰かに教えてもらったことあるな、くらいには思うはずで、もしかしたら、その時隣にいる好きな誰かにこの人の音楽が好きでさ、とか、そういうことも言うかもしれない。めちゃくちゃいいと思う。幸せになってほしい。その好きな人とは、セックスするときちゃんとコンドームをしてほしい。いびきかいてたねと、同じベッドで朝起きて笑われて、すごく恥ずかしくなればいいし、寝ぼけながら私にキスしてたよ、寝ぼけながら私の手を探して見つけて、繋いで寝たよと言われて、それくらいに君が好きなんだよと、好機の言い訳に思いを乗せて愛を、その人に伝えたりしてほしい。全員、私の知った人も知らない人も、幸せになってほしい。私が引きずるあなたも、幸せになってほしい。私はもう自分で私を幸せにするつもり。

いちばん綺麗な氷見せて、ってお願いしたら見せてくれてありがとう。すごく綺麗だった。

 

20220829

昨日はバイトの日だった。4時間だけ。私のバイトしてるパン屋さんにはイートインスペースがあり、フードの注文も可能なのでお皿とかマグの返却口がある。その返却口は、フードコートの丸亀製麺とかケンタッキーとかすき家みたいに中のキッチンとの窓口になってる形で、その下にはゴミ箱があって、それはもろゴミ箱が見えるみたいにならないように棚みたいなものの中にゴミ箱が入ってる形で、その上は台にもなってる。お客様のなかにはその台の上にお皿やマグが乗っているトレーごとおいていくお客様も多いし、なんならゴミを捨ててくれないお客様も多い。お年を召された方が多かったりちいちゃい子を連れた家族連れも多いから仕方ないと思ってる。でも、忙しいときに見つけてしまうと正直、内心「ああ」とため息ついてる。ゴミ箱の上に置かれてしまうとキッチンの人は届かないから、食器類が回らなくなる。最近私は生理前期間なのでメンタルも体調も終わってて、いつもより「ああ」の気持ちが大きかったけど、誰かがやらなきないけないから。そしたら隣にいつかに告白してくれて、私の思いを尊重してくれちゃった男の子が立ってて、「おつかれさま、これおみやげ」って結構でかめのクリスピークリームドーナツの箱と、これ生理の時にいいんだよってお水に黒糖混ぜた飲み物を渡してくれて、これから日本のお母さん(彼は中国からの留学生)と前にお世話になったバイト先に行くと言ってうちの有名なパンと私の好きなオムレツのサンドイッチ買ってってくれた。クリスピークリームドーナツは、一緒に飲んだ時、生理で体調が終わりすぎて2杯で解散した日、食べたくなって行ったけど遅くて閉まってたドーナツ屋さんがクリスピークリームドーナツであったことを覚えててくれたんだと思う。来てくれた時、ドーナツを渡してくれた時、嬉しいをうまく表現できなかった。それをすごく後悔して、トイレ行ってきますって言ってすぐにLINEした。私は感情が大きいくせに幅は狭いのか。そうだ!ゲイにカミングアウトで太田さんも感情が大きい、それと一緒に過ごす強さみたいなものもあると言っていて、私もそれ考えたことあります!と思った。私は、彼といると申し訳なさと今あなたを愛せないことと、私は好きな人と一緒にいることに対して苦手意識が芽生えていることを思う。そしてそれはつい数ヶ月前まで付き合っていた彼への申し訳なさと自罰意識であるとも思う。まだ、消化できていない。まだ彼が好きとかもう好きじゃないとか以前の問題としてそれがあるから、難しい。

 

最近、父方の祖父の認知症が進み、二人で住んでいる祖母もいよいよ辛そうだ。うちの父家族もいろんな問題を抱えていて、詳しくは書かないが、やっと、少しだけ、事務的に、進んだ。でも、私にとっては立ち居振る舞いを求められるシチュエーションも多く、私の母もまだ彼女の親、私の母方の祖父母の死を完全に乗り越えたわけでもない中、私たち家族にも問題が多く、そして私は今は生理期間でいつもより不安定で自分を戻すまでに時間がかかるし、それよりなにより、夏が終わってしまったみたいだ。

 

もっとしょうもないことに絶望したい。どうせどうにかなるとか、そういう希望に甘えて弱音を吐きたい。救いがないのがどうしようもない。

 

彼と別れてからというわけではなく、彼と別れたことを機に、自分のどうしようもなさを強く自覚した。そのどうしようもなさというのは、自分の未消化の問題の多さのこと。私の問題は中学の時からの父との関係と、小学生のころからの学校での立場の不安定さとその環境のストレスフルさだと私は考えてる。まあ、それが主要な要因でなくとも一端ではあるはずです。と、カウンセラーさんには伝えた。自己を把握することについて、自分を見る時でもバイアスがかかると知ってしまうと、なにをも暫定でしかないのがもどかしい。わかんないとか、確定じゃないって、いろんな感情を誘発させる。私は不安定な人間で、しかも不器用ときたものだから、今なんて顕著に人を大切にできてない。あなたのことです、本当にごめんなさい。そしてできなかった彼にも。

 

いつだって自責や自罰は簡単にできてしまうし、それでも進まなければいけないし、夏が終われば、大学が始まればそれよりしなければいけないことの方が多くなるのだろうが、それでも残り続けるものや人たちが私を楽にしてくれると同時に私が傷つけてしまうかもしれないものであって、もうどうしようもない。もう、どうしようもないと、生理期間だから思うのだと願って、今、書いています。