unknown

フィクションであれ

20221028

バーでLet it beが流れてる。さっき彼が音量をあげた。私はジンフィズを飲んでる。最近頭が色んな思考で占領されて食欲にリソースを割けてないみたい。お酒は飲める。煙草も吸える。不健康そのものだな。さっきまで一緒にコーヒーを飲んでた。今日やったらちょっと飲めますと言われて、ちょっとっていつからいつのどの程度のちょっとなんだよと思いながら、5限が18:25に終わるんですけど、と言ったら何も返ってこなくて、どうすればいいんだろうなあと思いながらはやめに講義が終わったことを送ってみれば、何時に着きますか?と。あの既読は了解です待ってますの意味だったらしい。前々回の彼はお婆ちゃんを助けて遅れて、前回は入り口がわからなくて迷子になって、今回は地球の自転を止めてたらしい。語録作ろうかな。そして彼が遅れてきた時間を計算して、いつかの私の免罪符にすると決めてる。

ここからは始発近くの電車に乗りながら、目の前の車窓に少しずつ朝日が登って夕陽のように赤く染めそうな雲の奥を見ながら書いてる。

会いたかった友人が飲んでるバーに来てくれた。久々だった常連さんにも会った。初めての人とも会った。私は、自分が自分を好きになるために然るべき努力をしたと自負するし時間もかけたけど、結局それを今の私が語ってしまうのはあまりに暴力的だと思ってしまった。人それぞれに地獄はあるけど、私は脱出したその類の似た地獄の渦中にいる人に私が言えることはもう何もない気がしてしまった。私は、それでも言うことも愛だと呼んでしまいたいが、それを愛だと呼べるのは相互間の中で私だけである。場合もある。私はそれは望んでいない。私は私でしかあれないし、私の言葉は私のものでしかないのが苦しい。私は、私は人の痛みのそばにもいられないのかもしれない。私の動機は所詮自慰なのかもしれない。わからない。

私が「私は好きだと思ったら好きだと言うタイプです、というか言いたいタイプです」と言うと彼が「え?話が違うけど?」と、にやにやして、そんな話をしたこともないのに言い出して、私は意味を含めて受け取ってしまった。行くべきところに行っているのか、殺されにかかっているのか。わからない。

銀河鉄道の夜」に第2部的な曲があるの知ってますか?と言われて、彼に待ってもらって隣で聴いた「新訳 銀河鉄道の夜」。私はこの2つを聴くと共通してこれに似た感情を知ってると思う。地球は丸だから端っこがないけど、もし端がある地球であれば、私はあの日銀河鉄道に乗ったように、夜の星の海に落っこちられた。それを伝えた。その話をする前に、喫茶店の目の前のアパートのベランダを2人で観察して、半円状に物干し竿にかかっているあれは何かを予想して、私は今の時間帯も干してあるということは乾きにくいものだと予想して大きな円形のラグだろうと言えば、彼はベッドシーツだと思う、円形のベッド。と言うので、丸いベッドの利点は何でしょうね?と問いかけて、私が先に答えたのは端がないことだった。

生きてりゃ全てに終わりはあるのに、形だけでもそれを望む私が馬鹿らしい。終わり、終わり。