unknown

フィクションであれ

20221030

世はハロウィンですか。梨泰院のニュースが耳にも胸にも突き刺さりますね。直面する問題にしかリソースを割けない私の不器用な頭と情緒は仮装どころの装飾で非現実にできるのかしら。それなら私喜んでやるんだけど。

バイト、気づけば終わった。終わって、バイトの時は切り替えて考えてないことをまた考えだして、でも私の頭は排卵期に突入すると共にキャパシティが減り、悩むのが辛いことを頭が思い出し、悩むことを拒否しているくせに考えることをやめない頭が空回りしだし、どうしようもねえ〜〜〜〜の状態になりとりあえず歩くか、と京都駅から四条までまた歩き、今は喫茶店でコーヒーを飲みながら煙草を吸って、カウンターから聞こえてきたたまに来てくれるおじいちゃんがThe Beatlesが好きだという話に乗らせてもらって、執着のように聴いてしまっていたフィッシュマンズの「いかれたBABY」をやめ、Abbey Roadを聴いている。あの人はずるい。いや、許してしまった私の過失だけど、私に曲を教えることで、今までただ好きで聴いていたCigarettes After Sexを聴くことにも、銀杏BOYZを聴くことにも他意をもたせてきたあの人。前の恋人の時のカネコアヤノと同じ。他意の上書きをしようとセフレに教えてみたけど効果はなかったのに、彼に教えてしまったことで簡単に達成されてしまい、そしてまた、他意を生んでしまった。あの日の日記と同じことだ。彼が私に勧める一曲として選んだ「いかれたBABY」に他意はない。悲しいときに浮かぶ顔の君は誰かであり、悲しい夜を見かけたとき思い出す君も誰かなだけだ。いかれた彼のBABYは霧中の誰かなだけであるのだ。そもそも僕ですら誰かである。坂本裕二と言っていた。言えたこと、言えたことだけが気持ちである。そうであるように、表明されたことにしか意味はない。そこを求めようとしてしまうことこそ恋であることも間違いないはずだけど。

 


冬だな、冬が来た。知らぬ間に気づく肩こりだし、出されて飲んでるコーヒーが冷めた程度ではなく冷えてしまう。きっとまたJannabiの「LEGEND」が耳に恋しくなる。今日帰りはそれを聴こうと思う。

 

おわり