unknown

フィクションであれ

20220922

大学が始まったということはすなわち進路が同じの別れた恋人と会う生活が始まるということで、私たちの久しぶりの再会は案の定、大学の喫煙所だった。というか、進路が違ってくると取る講義も違ってくるから、キャンパスが同じ木曜日に会えたら嬉しいなと思っていた仲のいい喫煙者たち全員に喫煙所で再会した。すごいことだと思う。いちばん最後に入ってきたやつが「全員おんのかい」と結構でかい声で言っていた。私はお前に会いたかったよ、どうせあなたはこれ読まないけど。

帰りも2人で煙草を吸ったから、今日最後に会った友達が別れた恋人になったわけだけど、帰りの満員電車でラッキーオールドサンを聴きながらこの少し寂しくて悲しいのはなぜなのかをずっと考えてた。たぶん胸や喉が締め付けられる思いをしないで彼の目を見て話せた私と彼が本当に友達みたいで、それのおかげで私たちの昔あった関係が本当に終わってしまったことになって、それが寂しくて悲しいんだと思う。よかったんだけど、これで、もちろん。もちろんね。でも、ちょっと迷った末に聞いた感じで彼が言った「俺のいない夏は苦しかった?」で、ああ本当にこの人ってこういう人だった、と思った。私はあなたのそういうところが好きだよ。私の横に座り込んで煙草を吸っていた彼のセットしてない髪が柔らかそうだと思ったのは気のせいだったことにする。彼のパーマのかかっていない髪の触り心地を知らないまま私は死ぬといい。

彼はもう1箱、2日ももたないらしい。このまま辞めるかなと思ってた別の友達も前より吸うようになってて、みんなやめてなかったんだ煙草、と思った。私だけだよ、減ったの。みんなより先に死にたいのになあ。

20220921

今日も4時間睡眠で2限行ったしな、たくさん話して結構本も読んだな、本当に眠いな今日は、と思いながら、電車はちょうど帰宅ラッシュの時間で座れずにずっとカネコアヤノを好きになった日のことを思い出していた。私のあの感情に「君のこと嫌いにならないように、がんばってるこちらは」という言葉をくれたのはこの世界で、後にも先にもカネコアヤノだけだった。家に帰ってきて、ごはんを作って食べる元気もないとレンチンできるもので済ませながら、apple musicを開いていたら工藤裕次郎さんの「昔、好きだった人」があって聴いて、あのギターの弦のぎぎっという音が心地よくて、好きだったあの人が音を探しながらギターを弾く時の、弦の上をあの弦を押さえる腹だけが硬い、爪がいつも短い指が弦を移動する時の音を鮮明に思い出した。情けない。そうしていたらバレーボウイズの「人間大好き」を流して、飯食って風呂入って!!!!と叫んでもらって、これこそ今の私にぴったりなエンパワメントソングだと、ちょっと涙が出そうになるくらい嬉しくなった。音楽の波は結構いつも唐突にきて、私をどこかへ流していってしまう。そんなこんなしてこの日記を書いていたら、もっと大切に観られたはずの、もっと大切な作品になったかもしれない映画を、セックスするだけの人とポリシーに反した吹き替え版で観てしまった後悔が今更襲ってきた。

20220920

まとわりつく空気が私を守ってくれないと感じたら秋だった。寒くなるとなぜかいつも寂しくなる。夏は暑いから、その暑さに心も体も溶かされた気になって、冬は吹く風が私を刺すようだから、それに心も攫われて寂しく悲しくなるのかもしれない。今日、人と話しながらも、頭の中で考えることは専ら寒いだったし、台風14号の文字を見て、この台風以外の13個を私は知らないなとか考えていた。そんなふうに、久々の大学の講義の日を過ごしながら、図らずも言語化してしまった、私が表層的な関係を求めている理由が想定より寂しいもので困った。自分のこの気持ちが、私の中の何かが埋まらない感覚であることはわかっていたけど、今の私にはそれを埋める術はないし。もう、今の私の事足りなさに傷つくことはしないけど、いつでも私の足を引っ張るのは私はここに呼ばれていないという感覚で、私が夜な夜な渡り歩く場所は私でなくても成り立ってしまう私自身に価値を見出すことが難しいところばかりであることが私を傷つけているのだと思うし。これだった。それにしても「タバコの秋ですね」というツイートを見つけたのでこの冬も乗り越える気概が湧いた。そうだった、寒くなれば煙草がおいしいのだった、あとたい焼きも。私が夏になる前に唯一寒さが名残惜しかった理由がたい焼きが今よりおいしくなくなるかもしれないという危惧だったことを思い出した。夏にたい焼きは食べなかったから、夏のたい焼きがおいしくないかどうかは知らない。